黒歴史ってあるのかな
どうもこんばんわ。
博多駅の道路の穴の埋め立てを生で見て、日本人の維持というか、凄さを見ました。
まあその話とは全く関係ないんですけど
自分の生い立ちの中に、
黒歴史ってあるのかなって思って、色々考えて見ました。
☆1〜3歳
ほとんど記憶がないが、新幹線にどハマりしていたらしく、2歳の時に産まれた妹に新幹線の名前を付けたらしい。
妹ができたが、赤ちゃん返りすることなく、普通に育ったらしい。
この時は割と可愛い顔をしてた。
3歳の時から、父親にゴルフの打ちっ放しに連れていかれていた。
☆4〜6歳
幼稚園時代。
休み時間が終わるとみんな走って帰るんだが、必ずその過程で逆上がりをしてたのを覚えている。
意味がわからないけど、走って来た勢いで鉄棒を一回転して部屋に入るみたいな。
あと、頭から滑り台を降りて前歯を一本折る
さらに、バズ・ライトイヤーのモノマネをして、押入れから飛び降りて前歯を二本折る
加えて、自転車乗れるようになり、レースをしたところ、溝に転落。前歯を一本おる(前歯コンプリート)
その時に左肘に裂傷を負い、今もなお傷となって残っている。
ひかりちゃん(仮称)に恋をしていたらしい。
卒園アルバムではかなり一緒に写っているのが目撃される。
3年間、サッカー好きの母の影響を受けて、サッカーをしていた。
☆7〜12歳
小学生時代。
ゴルフの才能を開花させ、一時ゴルフの世界に入れられそうになる。たしかにゴルフはとても楽しかった。
同時に幼稚園時代からやっている書道の才能も開花。文武両道になりつつあった。
しかし、9歳の頃、地元の子ども会のソフトボールチームに誘われ入団。
ソフトボール、野球にどハマりする。
同時にパワプロ9を購入し、ゲームにもどハマり。
チームの副キャプテンになり、4番キャッチャーで活躍していた。
幼馴染のSちゃんに淡い恋心を抱いていた。
通学路も同じで一緒に行ったり帰ったりを繰り返していた。
ここまで、それなりに良い人生を送っている。
☆13〜15歳
中学生時代
野球部に入部。地獄のような基礎トレーニングの毎日と戦った。
坊主にしたせいで、直毛だった髪が癖毛になってしまった。一番悲しい事件。
楽しかった野球人生も、オスグッドの発症などもあり色々と支障が出始める。
さらに小学生時代からあった肩痛をかばってか肘痛も発症し、そこからハリ治療や電気治療に通うようになるが、完治にならず、そんなに球数を投げられないようになる。
2年の秋、サードの先輩から送球された球が手前で石に当たり、イレギュラーバウンドをして僕の目に直撃する事件もあった。
3日ほど右目の視力がなくなって、右半分真っ暗な生活を送った。
そのせいで視力が著しく落ちた。
野球部では、副キャプテンまで務めたが、チームは弱小ということもあり、地域大会の1回戦勝利止まりだった。
だが、野球部として関わりのあった吹奏楽部の先輩たちに鬼モテた(第一次モテ期か…)
中間テストの最中、先生が「多分この問題答えでないから解かなくていいよ」、と巡回して言いに来たところ、「いや解けるでしょ!○○やろ!」とテスト時間中大声で言ったことで、職員室に連行。
解けないと言った先生が悪いと思っていたので口を割らないまま5時間ほど尋問を受けた。
その事件後、併発して起こっていた学内ゲーム持ち込み事件のゲームソフトが俺のものだったということもあり、連続で怒られた。
俺は持ち込んでなく、友達が持って来てたのに俺が怒られるという謎な事態になった。
地元には、中学校が割と近くにたくさん建っていたので、権力闘争みたいなのがあり、
中学時代バッテリーを組んでいたTくんは、うちの中学の番長でもあり、よくあばらを折られて帰ってくるということもあった。
ヤンキーとか不良とか言われていたが、Tくんは俺にとってとても良い友人で、
彼が結婚するとなった時、俺のバイトする家具屋で家具を選んであげた。
好きだった幼馴染のSちゃんは、同じ野球部のRくんと付き合っていた。
Rくんに、お前仲良いから紹介しろと言われてその流れで紹介したのが問題だった。
Sちゃんとはそれ以降10年ほど話さなくなる。
中学生時代は中々すごかった。
今でも鮮明に思い出せるほど壮絶だった。
あと声変わりしてしまったのもあり、高い声がおかしくなってしまったのもこの頃。
16〜18歳
高校生時代
まさに青春となるはずだった。
硬式野球部に入部。
視力の低下と、肘と肩の炎症、先輩との殴り合い事件があって1ヶ月ほどで野球部を退部。
何もすることがなく生活していると、父からギターを譲り受ける。
そこから僕の音楽生活が始まった。
全く弾けなかったので、親に音楽教室に入れられ、音符の読み方や音楽理論から教え込まれた。
目立つ方と言えば目立つ方で、文化祭ではステージの上で友人とライブをしたりした。
三年の時は演劇をやって、先生たちからベストアクター賞とかいう非公式な賞を貰った。
外部でギターを習っていたので、高校内部では帰宅部のエースとして君臨していたのだが、高校二年生の時の担任に、書道部に入れられる。
そして入って3週間で書いた作品が大阪の大会に選出されて、大阪城?に展示された。
体育会系というより、文化系に走った3年間である。
好きな子もいた。
相手は常に学力テストで学年一位を取るMさん。
ソフトボール部でもあり、すごく活発な女の子だった。
その子と自転車を2ケツして色々と遊びまわったり、
キャッチボールするだけの日もあったり、
メールもほぼ毎日してたし…
すごく甘酸っぱい生活をしていた。
まあ、高3のクリスマスの日に告らなかったので、付き合うことなく終わりを迎えるのだが…(クリスマス良い思い出ない芸人の始まり)
僕が、3年間同じ人を好きだったっていうのは今でも同窓会のネタになる話題である。
18歳までの歴史を振り返ったけど、そんなに黒い歴史はない。
ただ外的損傷が多すぎて驚く。
あと自分が好きになった人とは上手くいかないということにここら辺で気がつき始める。
19〜22歳のことを書こうかと思ったのだが、
一番黒歴史と言える大事件があったのが大学時代だった気がするので、
少しこれはまた日を変えて、書こうと思います。
長文お付き合いありがとうございました。
終わり。